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執筆者の写真Nobuhiro Kawai

教育

NZの旅が終わりすでに半月が過ぎようとしている。

その間、助成を受けた期間に対しての報告書や新しい仕事やらで忙しい日々を送っている。

NZの旅は結局約3週間の旅となったわけだが、今回もいろいろな人に出会いいろいろな人と再会をして、充実した日々を送った。

基本的には羊の牧場研修が目的なので、それに関わることの学びが多かったのだが。

しかし、旅の途中思ったことがある。

今のキャリア、タイミングで3週間もの旅をするというのには、きっと何か意味があるのではないかということ。

普通に日々を暮らしていれば羊の勉強ということで終わってしまうこの旅。

でも、何か意味を感じざるを得なかった。


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昨年NZを訪れた時にNZの教育というものを聞いた。

自主性を重んじる教育。

したくなければしなくてもいい、でもしなければいい学校にもいい職にも就くことはことはできない。

そういったスタンスだからこそ、自ら考えメンタルの強い人間が生まれるのだとも思った。

今回、研修を受けている先の奥さんは日本人で日本とNZで教鞭をとったことのある数少ないであろう経験の持ち主であった。

そこに何か学ぶべきところがあるはずだと思い、毎日のようにたくさんの話をさせていただいた。

たくさんの学びがあった中で最も印象に残った言葉がある。




二カ国で教鞭をとった経験で、日本の教育というものが非常に親切で落ちこぼれを決して出さない姿勢というものは素晴らしい。

そのようなことを言っていた。

この言葉は自分にとっては意外な言葉であった。

なぜなら、日本の教育は世界の中でも遅れていると思っていたからだ。

全てを平均化するような教育。

NZの教育のように、自ら考え何かを作り出すといった教育の仕方はあまり日本ではスタンダードではないように思えた。

でも、素晴らしいとも言っている人がいる。

しかも、自身の経験値の中で。

そこで、でも日本の教育にも足りない部分ってないですかね。と尋ねてみた。

すると。

日本の教育は〜先生 from study.

NZは〜先生 with study.

聞いた瞬間何か腑に落ちる感覚を覚えた。


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足りない部分ってそういった姿勢なのかと。

自身、NZで教鞭をとって一番学んだことは、生徒からたくさんのことを学んだとも言っていた。

生徒と教師は常に一緒の目線で教えるのではなくサポートする意識が大事なのか。

先生という立場に立ったことがない者が気安く言えることではないかもしれないが、そんな意識があると少しは足りない部分が埋められるのかな。

日本の教育はあくまでも教えること。

だから、落ちこぼれが生まれない。

難しい判断ではある。

どっちも大事なことなのかな。

そんなことを考え、どちらが良いのかと判断できる環境が生まれることが大事なのではないか。

教育の難しさを思い知らされた。


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